2026.05.21
相談員ブログ
なぜ昔話には「おじいさん」と「あばあさん」が多いのか‐日本人が物語に託した“老後の不安と救い”
「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。」日本の昔話には、このような書き出しで始まる話が多く見られます。
鶴の恩返し、花咲か爺さん、こぶとり爺さん、一寸法師、舌切り雀、傘地蔵――。
思い返してみると、主人公が若者ではなく、高齢の夫婦である話は少なくありません。
しかも、その多くは裕福とはいえず、子や孫に囲まれて暮らしているわけでもありません。
山で柴を刈り、川で洗濯をしながら、静かに二人で暮らしています。
ここでいう「柴刈リ」は、現在の芝生の手入れではなく、山で枯れ枝や柴を集め、煮炊きの燃料にするための生活労働を指します。
なぜ日本の昔話は、こうした「老夫婦」から始まるのでしょうか。
そこには、昔の人々が抱えていた“老い”への不安と、「それでも最後には報われてほしい」という願いが見えてきます。
【昔話の老人は「恵まれない存在」として描かれている】
昔話のおじいさん、おばあさんには、いくつかの共通点があります。
貧しい。子どもがいない。夫婦だけで暮らしている。社会的に弱い立場にいる。
つまり、恵まれた幸せな老後が描かれているわけではないのです。
特に昔は、「子どもがいない」ということの重みは今以上でした。
子どもは単なる家族ではなく、労働力であり、家を継ぎ、老後を支える存在でもありました。
そのため、子どものいない老夫婦には、現代以上に孤独や不安が重なっていたと考えられます。
だからこそ桃太郎や竹取物語のような「授かりもの」の物語は、単なる空想ではなく、人々の切実な願いが反映された話でもあったのでしょう。
【日本の昔話は「逆転劇」の物語だった】
昔話では、その“欠けている状態”に突然、幸運が訪れます。
桃から子どもが生まれる。動物が恩返しをする。宝物を得る。枯れ木に花が咲く。神仏に助けられる。
これは単なる偶然のハッピーストーリーではありません。
昔の人々の暮らしは、現代とは比べものにならないほど厳しい時代もありました。
飢饉、天災、病気、社会不安、戦、重労働、老後の不安――。
そうしたことが、身近な現実だったのです。
特に高齢者は、身体が衰えても働かなければ生きていけない立場でした。
しかも昔話の老人たちは、大きな田畑を持つ裕福な農家としては描かれません。
細々と暮らしていることが多く、生活基盤の弱さもうかがえます。
だからこそ、「善良に生きていれば、最後には報われて欲しい」という願いが、昔話に強く込められていったのでしょう。
【なぜ「老夫婦」なのか】
では、なぜ若者ではなく老人なのでしょうか。
そこには、「老い」が持つ特別な意味があります。
昔の日本では、高齢者は単なる弱い存在ではありませんでした。
家族や地域の知恵を持つ存在でもありました。
農作業の知識、季節の感覚、人付き合い、祭りや信仰――。
長く生きた人ほど、多くを知っていた時代です。
その一方で、老いは不安とも隣り合わせでした。
現代のような社会保障がない時代、「老後」は今以上に切実だったのです。
だから昔話では、高齢者が「知恵」と「弱さ」の両方を持つ存在として描かれることが多かったのでしょう。
【老夫婦だけの家だから「奇跡」が際立つ】
昔話の老夫婦には、子どもや孫が同居していないことが多くあります。
もし大家族の家に桃太郎が現れても、それほど劇的には感じられないでしょう。
しかし、静かな老夫婦だけの家だからこそ、「突然訪れる命」や「思いがけない幸福」が強く印象に残るのです。
何も起きそうにない場所に、奇跡が起きる。
これが昔話の大きな魅力でした。
そしてそれは、「人生の終わりが近づいてからでも、幸せは訪れるかもしれない」という希望にもつながっています。
昔話は、年を重ねた人にとっても、未来が閉ざされているわけではないことを示していたのかもしれません。
【日本人は「老い」に救いを求めていた】
昔話には、老いへの複雑な感情が見え隠れします。
一方では、老人は貧しく、孤独で、力も弱い。
しかし他方では、誠実に生き、自然や神仏の力に近い存在として描かれることもあります。
つまり昔話の老人は、「弱い人」であると同時に、「徳を積んだ人」としても語られるのです。
だからこそ、
欲深い者は失敗し、善良な老人は救われる、
という結末を望みます。
そこには、「苦労して生きてきた人には、最後に報われてほしい」という、日本人の素朴な倫理観がにじんでいます。
昔話は、そうした気持ちを物語のかたちにしたものだったのでしょう。
【昔話は“理想の老後”を描いていたのかもしれない】
昔話の中では、高齢者は人生の苦労や孤独を背負いながらも、最後に幸福へたどり着く存在として描かれています。
人生の終盤にも希望は訪れる。
苦労してきた人には報われてほしい。
昔話の老夫婦には、そんな人々の願いが重ねられていたのでしょう。
おじいさんとおばあさんが繰り返し登場するのは、日本人が昔から、「老い」に不安を抱えながらも、「人生の最期には救いがあってほしい」と願ってきたからなのかもしれません。